住所 北海道札幌市中央区南7条西4丁目 LC拾壱番館-B1F
電話 011-532-3329
ウェブサイト http://www.colony6.com
札幌ススキノにあるライブハウス。インディーズからメジャーまで幅広く出演し、様々なライブやイベントで盛り上がっている。札幌に数多くあるライブハウスの中でもメジャーバンドの輩出数は群を抜いており、プロを目指すバンドの出演が多いため、レベルの高いライブを楽しむことができる。
知床出身のミクスチャーバンド“雷鼓”のヴォーカル・ヒデミと『コロニー』の小野寺司典が緊急対談!『知床旅情』『ALIVE』などのヒット曲をリリース、メジャーの第一線で活躍するも、今年12月をもって7年に渡る活動を休止…!そして、重大発表…!
インタビュー(December,2007)
ヒデミ / 『RAICO』
小野寺 司典 / 『COLONY』ディレクター
>まずはじめに、ふたりの出会いから聞かせてください。
>愛想のなさは今と変わりませんけれど…(笑)。その後は?
小野寺 ラジオ番組のレギュラーで出させてもらったりとかで関わりが深くなっていったよね。
ヒデミ 毎週一時間番組なのになぜか10分くらい小野寺さんのレギュラーコーナーがあって…(笑)。
小野寺 札幌のバンド紹介みたいな感じで、いろんなバンドを紹介しながら音源を掛けたりとか、それに関連してイベントを紹介したりとか。雷鼓ファンの中ではカリスマ的存在だったと思うんだけど…なわけないか(笑)。
ヒデミ 当時からそんなことを言ってましたよね。「オレもそろそろ人気が出てきたんじゃない?」みたいな(笑)。でも、素人なのに喋りがすごく上手かったんですよ、この人は本当に何者だ?って思ってました。
小野寺 昔(10年ぐらい前)、ラジオのレギュラー番組をやっていたことがあるからね。でも、いつのまにか雷鼓ばっかり人気が出ちゃって(笑)。
>小野寺さんは雷鼓の存在は御存知だったんですか?
ヒデミ そうだったんですか?本当に何も言ってくれなかったんですよ。
小野寺 基本的にはバンド側から聞かれないと何も言わないからね。あんまり口うるさいとキモイじゃん(笑)。
ヒデミ 特にオレらの音楽に関しては何も言わない感じだったんですよね。他のバンドにはアドバイスをしているのは知っていたんですよ。終わった後に今日どうだったよ、もっとこうしたらいいんじゃない?みたいな。だから、どうしてオレらには言ってくれないんだろう?っていうのがありましたね。もしかしたら嫌われてるんだろうか…?って悩んだこともありました。
小野寺 あんまり好き嫌いでは判断しないけどね。メジャーになるとプロの音楽制作スタッフがちゃんといるわけだから、第三者のオレが何か言うことでまったく違う意見が生まれてきちゃうと、バンドが混乱してこんがらがっちゃうこととかもあるので、あまり口出ししない方が良いかなっていうのがあるんだよね。
>小野寺さんの雷鼓の第一印象はいかがでしたか?
ヒデミ 2002年とかですね。すごい緊張しました。場所柄もあるんですよね。田舎から出てきてるのもあるんですけど、ススキノへ行くっていう時点でちょっと恐いんですよ。知らないお客さんばかりだし、緊張して足とかめっちゃ震えてました。だから、オレらにすると『コロニー』は妙に思い入れがあったんですよ。当時ライブの本数もコロニーでのライブが一番多かったですし。
>小野寺さんは雷鼓の活躍をどのように見ていたのしょう?
小野寺 北海道在住でアマチュアからインディーズ…そしてメジャーにみたいな流れをひと通り間近で見れたというのは勉強になりましたね。こうして計画が決っていき、こうしてタイアップが決っていき、こうしてオリコンチャートに入っていき、こういう時にバンドはこういう状態なんだっていうのがわかったし、バンドに近いことによってまわりのスタッフの話とかも聞けたから、逆にすごく勉強させていただきました。 一歩引いた所から、バンドはもちろん、まわりにいるプロのスタッフからも状況やいろんな話を聞きながら、バンドに言わないことも聞けたりしたので良い経験をさせてもらえました。
>その雷鼓が2007年12月をもって惜しまれつつ活動を休止されるということなのですが…。
ヒデミ 大きな会場も考えたんですけど、活動休止がそんなにめでたいことじゃないなという理由もあったし、キャパ関係なしに一番やりたいハコでやろうとメンバーとも話し合ったんですよ。『コロニー』には本当にお世話になったし、小野寺さんをはじめとしてPAや照明とかスタッフみんな知っていて、単純に思い入れがすごく強いんですよね。オレらも知っているし、向こうも知ってくれているし。ワンマンライブでは、オレらの集大成であり最高のライブをみなさんにお観せしたいですね。
小野寺 こうやってバンドのはじまりから携わっていけるというのはライブハウス冥利に尽きますね。
>ところで、今回はなにか重大発表があるそうなのですが…?
>…!?
>ヒデミさんを誘われたのはなぜだったのでしょう?
ヒデミ やっぱり音楽をずっと続けていこうとは思っていたんです。この仕事を決めた時に、小野寺さんから「音楽を続けていいよ、っていうかずっと続けてね。」って逆に言われたんですよ。「その方が説得力もあるから。」って。嬉しかったのもあるし、職場の上司からお許しをもらえるなんて考えてもみなかったので、それもひとつのきっかけになりましたね。
小野寺 プロ野球のシニアチームみたいなものもあっていいんじゃない?音楽の楽しみ方はそれぞれだから。
>ここだけの話、雷鼓の活動再開はあるんでしょうか?
>小野寺さんがブッキングマネージャーとしてヒデミさんにこれから期待することは?
ヒデミ …(笑)。ブッキングマネージャーはライブハウスの顔だと思うので頑張ります。
>では、最後に若いバンド達にこれから期待することは?
小野寺 バンドに限らず音楽シーンを見ていると、バンドだけじゃなくて、ヒップホップもレゲエもテクノやハウスもR&Bも、ジャンルなんて一切関係ないと思うので、ステージに上がりたい人はどんどん来て欲しいですね。ライブハウスっていうイメージ自体が古くなっているから、いつまでもそのままだと付いていけなくなっちゃうので。「なんでもいいんじゃね?楽しければ。」みたいな(笑)。ススキノ発アイドルなんかもいいかも。“ゆきんこ”とか“ホワイトストーム”とか(笑)。
RAICO(雷鼓)
2000年結成、知床出身。ヒデミ(Vo)、ハル(Vo&G)、アッキ(Gt)、マッツン(Ba)、直人(Dr)の5人組ミクスチャーバンド。2004年、『知床旅情』でメジャーデビュー。代表曲に『ALIVE』(アニメ『ナルト』のテーマ曲)など。2007年12月23日の『COLONY』でのライブ を最後に活動休止。
text Pilot Publishing
December,2007
2001年、日本屈指の歓楽街・ススキノにオープン以来、夢を追い駆ける幾多のミュージシャン達とともに、様々な音楽とカルチャーを世に排出してきたライブハウス『コロニー』。地元に密着した独自のこだわりと実験的な試みは、発展途上な北海道の音楽シーンに多大な影響と刺激を与え、今なおとどまることなく最前線を走り続けている。6周年を迎え、ますます勢いにのる今後の動向から目が離せない!
インタビュー(August,2007)
小野寺 司典 / 『COLONY』ディレクター
>6周年おめでとうございます!まずはこれまでを振り返られて、今の心境を聞かせてください。
>期末テストだけはしっかりありそうです、イメージ的に『コロニー』は…(笑)。そもそもオープンされることになった経緯を教えてください。株や宝くじでひと山当てたとか?
>うまいこと言ってやったみたいな顔しないでください。
>ところで『コロニー』という名前の由来について聞かせてください。
>でも、どうしてススキノという場所にライブハウスを作られたのですか?『だるま』や『まむろ』が近いから?それとも帰りにラーメンが食べたかったから?
>場所柄、ありとあらゆる欲が渦巻いてそうですけれど…(笑)。運営をされる上でのコンセプトはありますか?
>本当に音楽と若者がお好きなんですね。それを形にされているのは素晴らしいです。オープンされた2001年はどんな年でしたか?
>インターネットや携帯も急速に普及し始めていた頃ですし、当時とは若者像も変わってきていませんか?
>バンドを出演させたり、ブッキングする際のこだわりはありますか?
>これまで最大の動員と最低の動員だったライブは?
>確信犯的な気もしますけれど…。このステージから巣立っていったバンドもたくさんいると思いますが、中でも印象に残っているバンドは?
>そういえば、近頃は変わった企画モノもたくさん行われていますね。
>最近注目されているバンドを教えてください
>「現実的かつ的確なアドバイスをしてくれた。」と感謝している若者がたくさんいます。きっと気持ちが伝わっているんだと思います。ごく稀に「うるさいんだよ!」なんて愚痴る、わかっていないコも若干名いましたけれど…(笑)。
>最近ではアーティストの発表の場も増え、機会も様々あるように感じるのですが、どうして飛び抜けられないのでしょうか?
>『コロニー』といえば、ライブハウスなのに漫画のセレクトがとても充実されていますね。
>最近注目されている漫画はありますか?
>以前から気になっていたのですが、小野寺さんはどうして坊主頭なんですか?
>テカリとツヤが“切る”という次元を超越していますね。
>では最後に、今後の抱負を聞かせてください。
text Pilot Publishing
August,2007
[…] 画像引用元:PILOT FREE […]
[…] 出典:PILOT FREE […]
[…] 出典: PILOT 女性ボーカルロックバンドの先駆けとして、そのアツいライブパフォーマンスが伝説として語られることの多いREBECCA(レベッカ)。1985年に「フレンズ」が大ヒットした後、一気に世間の認知度が高まり、ヒットを連発。4枚目のアルバム「REBECCA Ⅳ」から解散までにリリースしたアルバム計4枚とも最高順位1位を記録しました。また、所属レコード会社がソニーであったため、同じソニーのオーディオミニコンポのCMにシングルが次々と採用され、本人たちも出演していたことも「ロックバンド」としては当時異例の扱いでした。そんなREBBECA(レベッカ)。阪神大震災の時と2000年に再結成されたことはありましたが今年は全国5か所公演との本格復帰となりました。REBECCA伝説再びなのでしょうか? […]
[…] 出典:PILOT […]